メキシコの人、暮らし、お祭り、食べ物、などなど、思いつく話をつらつらとご紹介してきます。

最初に、自己紹介的な話をしておきますと、わたしがはじめてメキシコに行ったのは97年の12月。
途中他国に出ていたりもしましたが、翌年7月までグァナファトでスペイン語学校に通っていました。
同年10月から更に翌年7月まではメキシコシティの某日系旅行会社で働いていました。
なので、これから書くお話はその約1年半の間に見たもの、聞いたもの、感じたものとなります。
主観的なことも多くなってしまうでしょうが、大目に見てやってくださいxx

第38回 メキシコ値段交渉

 メキシコ在住のikkyuさまより、メキシコでの値段交渉トンデモ話しを頂いたのでご紹介いたします。

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 大地震の翌年1986年ごろの、メキシコでの私の経験談です。その当時、僕はメキシコ市で二つのテイアンギス(土曜日と日曜日だけの、2メートル四方の小さい店)を持っていました。そこで鉢巻や日本文字の入ったシャツ、ジャンパー等を作って売っていました。店は小さいけど一応ポリシーを持って、生地の買い付けから、裁断、そして縫製をしていました。年末になると500着ほどのジャンパーが売れるので近くのセニョーラに外注していました。

 その年の年末には金のドラゴンのジャンパーが無くなり、あわててセニョーラのところに行って「今まの倍払うから、倍のジャンパーを作って欲しい」と 日本流に泣きついていきました。もちろんセニョーラは喜んで、「心配要らない。夜も寝ないでやるから」 と快く引き受けてくれました。それで安心して帰って、気持ちよく寝たのを良く覚えています。
  それまでは1週間に50着ほどのジャンパーが出来ていたので、今度は100着ぐらい出来るはずで したが、、、、、。さて何着のジャンパーが出来ていたでしょう。
  結果は、25着でした。セニョーラは25着でそれまでの儲けと同じ金額を手に入れたのでした。

 彼女はマドレ・ソルテーラ(*注 未婚の母)で2人の自分の子供と2人の身寄りの無い子供を育てていました。彼女は良く「PARA VIVIR HOY」 と言っていました。これは 「今日を生きる為に」とは訳しません。どっちかとゆうと「VIVIR PARA HOY.今日 の為に生きる。」だと思います。先のことばかり考えている僕が一番馬鹿だったとゆうお話です。
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 日本式に考えたら「そんなバカな・・・」なですが、メキシコならうなずけます、メキシコ人とのビジネスは柔軟にメキシコ式考え方を理解すべし&メキシコ人の今日を生きる精神に学べ!な、なかなか奥の深いお話しでした☆            03/MAR/03


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