★00年9〜11月 調査、買いつけ&お遊び旅行編 …長〜くなりそう
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| Vol.3 ついに私も餌食。有名な『首しめ』じゃなかったけど。 |
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今日はナスカにバスで向かう日。昨日のオフィスまで、この時はタクシーに乗った。荷物もあるし、危ないと思ったから。なのに、着いてからよーくチケットを見たら「このバスの出発は〜通りの○○のオフィス」と書いてあるではないか!大失敗..結局そこまで歩いて行く。今思えば、これもけっこう危険行為だったような。途中、子供がどこに行くのかと寄ってきて、オフィスまで連れて行ってくれた。小遣いせびるわけでなく、ホントの親切な子だった。(こうやって親切を疑ってしまう習性が..) しかし、オフィスに着いて聞いてみるとバスは3時間も出発が遅れるというではないか!いきなり、うんざりしつつ本を読んだり何とか時間をつぶす。そしてまたその時刻に近くなってもう一度聞くと…今度は更にあと4時間!最悪。しばらくまたターミナル内で時間をつぶしていたが、相当うんざりだったので、ちょっと外に出てご飯でもゆっくり食べてこようと思った。だけど、この辺りは治安も良くない場所だし、近くに何かあるかもわからなかったので、外に出て、道路の向かいに渡り、周囲を見渡した。これが、あと数分遅ければ良かったのに。と、いまさら言っても仕方ないが。 ターミナルの片側、なんとなくメルカドっぽい建物に見えた。そこに行ってみようと歩き出す。しかしホンの1、2分歩いたところで、向こうから若者何十人の集団がやって来た。最初、何かな?くらいに思ったのだが、彼らが近づいてきて「ヤバイ」と思った。ターミナルに戻ろうと、きびすを返す。ここで走れば良かったのかも?でもこの時、「びびってると思われるとマズイ、平静を装おう」なんて思って、普通に、歩いた。 ボーゼンと道路にへたっていると、おじさんが寄ってきて助け起こしてくれた。ターミナル内に逃げ込んで、「どうしよう」って頭の中でグルグル。おじさんが「なんで外に出たんだ」って聞く。「ご飯食べたかっただけ」。「そこにカフェがあるのに」…そんなこと言わないでよ〜。ターミナルの前は交差点になっていて、逆の道路には警官がいたはず。ターミナル前にも警備の人がいる。なんで、助けてくれないの。怒りが込み上げる。ペルー人最低!!…でも、助けてくれたのもペルー人。おばさんが携帯電話を差し出して、大使館に電話するなら使いなさい、って言ってくれた。なぜその時電話しなかったのかは覚えてないが..。そしてみな警察に行けという。でもポケットの小銭入れも盗られたので一文無し。(やっぱり、お金は数ヶ所に分けましょう!)それに、道路に出るのさえ恐かった。そしたら何人かがついて来てくれて、バスを止めて、この子はお金盗られたから警察までつれてってあげて、と言ってくれた。 警察に行くと、話しを聞いてパトカーに乗せられ、現場付近をまわった。たむろってる若者をさして、「どいつだ?わかるか?あいつか?」と聞いてくる。そんなもん、集団だったしわかるわけないだろ―――――!!私はそれより、そこらに貴重品入れが落ちてないか見ていた。彼らはどう見ても突発的に襲ってきたし、ってことはトラベラーズチェックやパスポートは不要なはず。そう言うものを換金するルートとかわかってるプロとは思えなかった。だからきっと中を見たら捨てるはず。そんな気がしていた。結局わからず、また署に戻り、事情徴集。タイプ打ちは明日するから明日来い、と言う。そして、日本大使館に連れて行くから、それでいいだろう?と言われた。いいだろう、って…途端に心細くなる。警察でも大使館でも、ここで「だれか」の助けがなかったら私って野垂れ死に? この日は日曜日だったから、大使館に人がいたのは本当にラッキーだった。しかも、着いた時、彼らは帰ろうとしてたところだった。日曜出勤にプラス余計な仕事を…すいません…。しかしさすがペルー!?館員の方も慣れていらした..。パスポート、T/C、カード、諸手続きを助けてもらい、盗難届けも今作ってもらおうと、もう一度警察に連れて行ってくれた。大使館員が頼めば、その日に作ってくれるのだわ。そして、パスポート再発行業務は月曜じゃないとできないので、明日また来て下さいと言われる。そして、お金100ドル(多分ポケットマネー)貸していただいた。そして、今日まで泊まっていたホテルに連れて行ってもらった。ホテルのフロントのおばさんが、おじさんに替わっていたので、舞い戻ってきたことに気づかれなかった。そして同じ部屋だったのだが、TVがないからと昨日までより5ソル安かった。感じの良かったおばさんも…けっこうセコイ人だった(笑)。 ホテルの部屋に入って、やっとホッとすると、今日の出来事がまざまざとよみがえった。まさか自分の身にこんなことが降りかかるとは。だけど、怪我とかなかったから良かった。荷物も盗られなくて良かった。大使館の方には悪いけど、パスポート盗られるよりコンタクト盗られる方が、遥かに「困る度」高いし。と、いい方向に考える。だけどこれまで海外に出て、スリとか騙された、とかそう言うイヤな経験はしたことなくて、いきなりこんなスゴイ体験しちゃってすごいショックだったんだけど、やはり疲れていたのか、この夜はぐっすり眠れてしまった。しかも楽しい夢まで見た。私って相当神経太いかも..。 翌日は、諸手続の続き。まず大使館。昨日は普通に入ったオフィス内、今日は厳重警備で、昨日手伝ってくれた館員の方もカギのかかった部屋の向こうで、様子がすっかり違った。手続きけっこう簡単に終了、後は写真をもって来るよう言われる。 この日の移動、タクシー乗っていたが、乗る度に運ちゃんに「強盗にあった!」と愚痴った。そうすると皆ほんとに同情の意見を言ってくれ、「この国は悪い奴多くてダメだ、怠け者ばっかりだ」とか言われちゃうと、ちょっと申し訳ない気持ちにもなる。あんまり、「そうそう!最悪だよ」と相槌打つわけにもいかないし..。 で。一旦ホテルに戻って、そこからまた予想通りの!?どんでん返しがあった。ホテルのおじさんが、「あなたのパスポートを拾った、って人から電話があった」と言うのだ!また電話をくれると言っていたと。驚いているとそこにシティバンクからの電話。手続きの続きで話してると、そこへちょうどまた、その拾ったという人から電話が。おじさんが話しかけきて、私はシティバンクの人に説明する。T/Cもあるみたい。私は単純に喜んでいたが、それを聞いて、シティバンクの人は「気をつけなさい!絶対一人で会っちゃダメよ!!」という。あ、確かに..。でもとりあえずは怪しい様子はなかったようで、ホテルまで持って来てくれると。おじさんは、「お金を沢山払っちゃダメだよ、ちょっとチップ渡すくらいにしなさい」と言う。 とにかく!!戻ってきたからもう大丈夫だー。そうそう、なぜ拾い主がホテルをわかったかって言うと、パスポートに挟んであった入国カードに、滞在ホテルとしてこのホテルを書いていたから。ああ言うところなんて、けっこう適当に書くけど、ちゃんとここに泊まってて良かった!!あんな目にあった時は不運が重なったと思ったけど、その後は沢山の幸運があった。 「もう帰ろう」って思ってたけど、やっぱりペルーに来た最大の目的、マチュピチュだけは見て帰ろうと思った。このままじゃほんとにペルー最低、のイメージで終わる。クスコだけ、飛行機で行こう。翌日はまた大使館に借りたお金を返しに行き、航空券を再発行してもらい、クスコ行きのチケットを買った。大使館の人には、クスコもデモあるから気をつけなさいと言われましたが。 リマ最後の日(結局1週間もいたよ!!)、手続きも何もかも終わって気持ちも落ち着いたけど、やっぱり恐くてミラ・フローレス地区からは出られなかった。暇だったので、あの海岸のモールで映画を見た。ブラジル映画。とても良かった。そしてカフェでコーヒー飲んで、セビッチェを食べた。数日の出来事を思い返していた。クスコに無事行けるのかと考えていた。 |
| Vol.4 一度は見ておこ、マチュピチュ | ||
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クスコは標高3360m!ほとんど富士山山頂にいきなりぽんと飛行機で舞い降りる。空は真っ青で太陽が明るいのに、空気が冷たい。ゆっくりと歩く。空港を出ると、タクシーの客引きが沢山。市内まではけっこう近いはずなのに、なんだか高い。でもこの値段は決まってるものみたいなので仕方ないのだが..バスにでも乗ろうかと思っていたら、「あのタクシーは○ソル(忘れたけど、かなり安い)でOKだ」と言われ、思わずついていく。日本語を少ししゃべるオジさんだった。そして、オジさんの宿に行くことが条件であったが、聞いたら宿も安いし、あてがなかったので、ここに行くことに。 マチュピチュへ行く列車は朝早い。宿のオジさんが駅まで送ってくれる。マチュピチュと言えば「空中都市」、すごく高いところにあるイメージなのだが、3000m級のクスコに比べると「低地」(と言っても2280m)にある。なので、クスコからの電車は山を下って行くことになり、スイッチバックで進むというちょっと珍しい電車なのだ。これって有名なこと(少なくとも、マチュピチュに行こう、っていう人にとっては..)だと思っていたのだが、前に行っては後ろに戻る動きを理解できず、「この電車、進んでないわよ!Crazy!!」と突然叫び出す白人女性。おいおい。 ふもとの駅に到着し、ここからはバスで遺跡まで登る。下からみたら、ただの山、遺跡の存在は確認出来ない。入り口に着いて、ここからガイドが着くはずだったのだが、見当たらない。中にいるのかなと入って行ったが見つからず、まあ、ガイドいなくてもいいかと思ったがこれはちょっと失敗だった。遺跡にはなんの説明板等がなかったので地図見てもイマイチどれがどれか分からなかったから..。高い入場料とってるのに不親切な遺跡!!
か古いところを訪れると、とりあえず「触り」まくります(笑)。「この石が何100年もここにあるんだな」「ここに昔住んでた人達もここを触ったんだ」って思うとすっごい嬉しいんですよね〜〜。 今日はここのふもとの村アグアス・カリエンテスに泊まるので、夕方最後のバス便までゆっくり出来る。あっちこっちを歩いて、最後遺跡の外れの小高い所でのんびり。ああ贅沢な時間だよ。で、滅多に写真撮らない私も、ここで一枚撮ってもらう。で、この写真頼んだ外人さん、なんだか忘れちゃったけど撮る時に笑わせて、私はすっごい笑顔で写ってる。でもそれくらい、「来れて嬉しかった!!」感じでGOODです(笑) 翌日。マチュピチュの入場料と、バス代が高いもんで、もう一日は周辺の温泉にでも行こうかとか考えていたのだが、やっぱりこんな所でケチっては後悔する!ともう一度マチュピチュへ。昨日は時間がなくて登れなかった、「ワイナピチュ」(=「若い峰」という意味。マチュピチュは「老いた峰」)に登ることにした。ワイナピチュは、マチュピチュの先にあるもうひとつの峰で、この上からのマチュピチュの眺めがまた最高!だと。けっこうきつい昇りらしいのだが、ガイドブックにあった投稿は、「日本人おばさんも登ってた!」だったので大丈夫と思い..。入口からしばらくは、緩やかな坂。で、角を曲がるとビックリの、ものすごーい急な峰とそこに貼り付くような細い道。..え、あそこ登るの!?と思うと行く足が鈍ったのだが、横をどんどん人が通りすぎて行き..。覚悟を決めて休み休み行ったが、それでもかなりきつかった〜。小1時間登り、足はガクガクに..。最後、やっと頂上が見えて、しかしここからがまた難関!坂を上がるんじゃなくて、岩をよじ登らないと上まで行けないじゃーん!!上の人に引っ張り上げてもらいなんとかゴール! そして、昨日は曇っていた天気が今日は快晴で、眼下にはマチュピチュの遺跡が小さく見える。こんなに登ってきたのかと自分で感心。次々と客?が入れ替わる中、ダラダラ残っているのはなぜか日本人ばかり。しばし歓談。余裕がない旅行をするといわれる日本人、ここでは「欧米人の方がさっさと行っちゃうよね、もったいない」とか話す。そして下山。帰りは30分くらいだったかな。入口のところで、さっき上にいた男の子に出会う。下りてきて、草むらで寝てたら途端に激しく虫にさされたと。ボツボツ、すごかった。虫除け様様でした! もう少し遺跡をウロウロして、名残惜しみつつバスに乗って駅へ。ぼんやり電車を待ってると、今度は上で会った女の子がやって来た。彼女は下りは歩いて下りようかなーとか言ってたんだけど、ほんとに歩いてきたらしい。すごいわ。たまに登りも徒歩でチャレンジしてるドイツ人(←予想)もいますが。それより、かの有名な「グッバイボーイ」の方がもっとすごいですが。(これは実際に見てかなり感心、チップあげずにはいられなかった。バスよりも先に駆け下りて行き、曲がり角毎に『グッバ〜イ』と叫ぶ子供の芸?です。)帰りもゴトゴト、スイッチバックでクスコへ。 |
| Vol.5 ペルー、残りの日々 | ||
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翌日は、これまたツアーで聖なる谷とオリャンタイタンボ遺跡。聖なる谷は6000m級の山が連なる中に、小さな村々があって、ここでの市場がみどころ。村までのバスから眺める光景は高地らしくなんとも澄み渡っている。クスコでもなんとか平気であったが、ここで「一番高いところ」というあたりではさすがに頭痛がした。肝心の市は、こう言ってはなんだか同じような風景をグァテマラ・メキシコで沢山見ているのであまり目新しさがなかった。民族衣装も、マヤ民族のほうが華やか。このツアー、申し込んだ時からイマイチ気乗りがしなかったので、結構後悔。 ですが、スペイン語ツアーだったので、ペルー人のほかブラジル人やウルグアイ人などまざって、ガイドのお姉さん
もノリノリで車内にぎやかでありました。そして、「日本人がいるのは珍しい。日本人は歌が上手い、何か歌ってもらいましょう!」ということに..。「日本人は歌が上手い」ってどう言う勝手な判断なんだか(笑)。ここで断固と断ってはマズイと思い、なんか楽しい日本の歌ってあったっけ?と思い起こしたが、ちゃんと歌詞まで覚えてるのってなかなかないわ..。で、旅行だし、と思いついたのは「線路は続くよ」。しか〜し、歌い終わって、隣りのおじさんに「聞いたことある歌だ。英語でこんなのあるよ。。」と歌ってくれて、思い出した。この歌って、日本のじゃないじゃん!!…バカだ。。。 さてクスコに帰って夜。ココは高地なので、昼間は暑いくらいでも、夜になるとグーっと寒くなります。なので、あまり遅くならないうちにシャワー。この宿はバス・トイレ共同の宿でありました。で、シャワー室は廊下のかどっこ、囲いを作っただけのような、天井無しのほとんど外みたいなところで、寒いのだ!ただでさえ寒いのに、この日、なんといきなり水が止まった!それがしかも、頭洗っててシャンプーだらけのところです。出るに出られないし、すぐに出るようになるかと思いきや待つこと多分15分くらい。カンベンしてよ!!グァテマラでも、お湯出ないとかぬるくなるとかはあっても、水が途中で止まったことはないぞ〜〜!…またペルーマイナス1ポイント、でした。。 翌日。順番が変だが、最後にクスコ市内観光とすぐ近くのサクサイワマンなどの遺跡などのツアー。インカの遺跡はみな石造りで、メキシコもそうなのだが、こちらはなんだかとっても「巨石文化」という印象。よく「かみそり1枚通さない」と聞くが、その通りにぴっちりと整然と積み上げられていて丈夫そう!ケンコー遺跡とタンボマチャイの泉を見て市内に戻り、コリカンチャ(太陽の神殿)とカテドラルを見て解散。 クスコ最終日、やっと完全フリーな一日。まずはちょっと離れた郵便局へ手紙を出しに行く。ウワサでは聞いていたが、ペルーの郵便事情はとても良い。郵便料金とかコンピューター管理されていてめっちゃスムーズ。ここから出した手紙も、一週間とかからず日本に到着したそうだ。スバラシイ。 夕方になってきて、段々と旅情に浸る。私、どうもあんまりツアー行動って合わないんだよね。こうやって、一人でぶらぶらしてると、旅が楽しくなってくる。やっと恐さも薄れてきたし..ってところでもう明日はメキシコへ帰る。ペルーいろいろあったわ。メキシコに戻るのがやっぱりすごく嬉しかった。 出発の朝、宿のオジサンが空港まで送ってくれる。「どうだった?」とオジサン。「このノートに感想を書いてくれ」と言うが、私は「聖なる谷のツアー、あんなに薦められたけどあんまり面白くなかった」と言って断わってしまった。けっこうやなヤツ(笑)。でもホント、このことはオジサンに一言言っておきたかったのだ!オジサンは「もし気に入らなかったら、返金するから」とまで言ったんだもん。もちろん、返金なんかしてくれるわけはないと思っていたが、文句だけは言っておかないとね。悪い人じゃあなかったけど、商売根性だし過ぎ、日本人をなめるなよ〜! |
| Vol.6 憧れのタラベラ焼きの街 | ||
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メキシコに戻り、約束していた友人宅に居候開始。しばらくは骨休みということでぼーっと過ごしてしまった。 街を思い出しつつ歩く。しかし当てがないもんだからなかなか見つからない。最初はパリアン市場というメルカドに行き、その周辺を見て、碁盤目状の道を順番に制覇してゆく。一軒の工房を見つけて、入る。
さらに北のほうへ進むと沢山の工房が出現。次に入ったところはこれまたステキな商品いっぱいの店であったが、聞いたら条件はもっと厳しかった。更に、「デザインを盗まれるといけないから、写真もダメ」だった。 次、前回自分の買い物した店。この時、けっこう感じ良くて、値段もそんなには高くなかったし、こっちからまけて♪って言わなくても向こうから、じゃあいくらまけてあげる、と言ってくれた記憶だったのよね。だけど。。。自分の買い物と商品にするのだと感覚が違うのかなぁ、スゴイ高いよ、この店!(笑)あといくつか他も見て、今度は街の南側へ。 プエブラには、他を回って最後の頃に、もう一度訪れた。高いけどやっぱりハズしたくなかった。メキシコの民芸品、日本に入っているのって安っぽいものばかりだ。それが悪いってことないけど、そういうのだけだとメキシコのモノって皆そんなのだって思われてしまう。せっかくこれだけのイイモノがあるって言うのに、それじゃあもったいないもん。結局は、一番条件の良かった最初のお店に向かった。憧れだった白地にブルーのタラベラセットを手に入れた。 |
| Vol.7 セルバンテス祭へ | ||
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10月中旬、当時メキシコ留学していた友人との約束で、セルバンテス祭真っ只中のグァナファトへ。セルバンテス祭はグァナファト名物の国際芸術祭で、約3週間に渡って行われます。留学してた時は期間がかぶってなかったので初めてのセルバンテス祭。ものすごい人出で、住んでいる人には迷惑な部分もあるらしいですけどね。特に週末は若者が集まってただのフィエスタ会場と成り果てるようで。 週末は宿がない(し高い)ってことで平日に出発。混んでいるかと予想されたバスは全然ガラガラで拍子抜けだ。宿も見つかったけど、多分普段の倍くらいのお値段。 通っていたスペイン語学校に行くと、ビックリなニュースが。以前ここに来た時に会った日本人の女の子、今も住んでいるらしいんだけど、昨日、なんと!倒れて頭蓋骨割ったというのだ!!おそろしぃ〜。。。夕方、お見舞いに行ったが私のことも覚えていてくれて、案外と元気そうだったがなんせ頭蓋骨真っ二つにヒビ入ったってことで..。付き添いでがっこの先生、みつこさんや他の友達が交代で病院に泊まってるそうだが、そのお鉢が私に回ってきた。同行の友人は週末前には帰ることになっていて、私はもう少し残るつもりだったので、みつこさんに泊めて〜とお願いしたところ…病院の付き添いして欲しい、と言われ、こっちはタダ宿、向こうは看護人、と利益一致!?で病院に泊まることに。個室でシャワートイレ完備(笑)。 さてさて、セルバンテス祭の方は、まずは映画を見に行った。タダだったし。だけど難解過ぎてさっぱり分からなかった。あとは民族舞踊団。こちら、満席では入れず、外から眺めた。有名な国立舞踊団だが、伝統的な踊り一辺倒ではなく、前衛的なアレンジがされていてこれは好き嫌いあるかな。ということで、見たのは結局これだけだぁ〜。 友人が帰って後、セルバンテス祭は無視して(笑)ドローレス・イダルゴへ。バスでターミナルに着く時、その道筋に陶器が並んでいるのが見えるのでそちらを目差す。だがこの辺は大物(ツボやら植木鉢やら..)ばかりなのでNG。その先どんどん歩くと一軒、倉庫みたいな大きな工房発見。しかもここ、スゴイ安い!!のだが、出来が悪い。釉薬がはげてるものが多くて、きれいなの探すとほとんど残らないジャン!グァナファトのタラベラ焼きは、プエブラほど高級ではなくて
絵付けも細かくないけど素朴な感じが好きです。(安いしね) なかなか見つからないなー、と今度は本命の、日本で見つけていた一軒の住所を持って探す。と、そこへ向かう道すがら、その通りには工房がいっぱいあるじゃあないかぁ〜。で、目的の店の前に見つけた店がかなりの充実度だったのでここで品定め。だけどやっぱり卸値はそれなり買わないとダメで、それ以外はびた1ペソ、まけてくれな〜い。。 それから、Servinの陶器との出会いもこの時だった。例のスペイン語学校でメキシコ人先生と話していると、「そこの広場でグァナファトの民芸品を展示していて、とても珍しい陶器が売ってる」と言うので見に行ったのだ。それがServin。以前にちょっと離れたところのホテルのお土産屋さんで一度だけ見たことがあって、スゴイかわいくて、でも高くて、一緒に行った友人は悩んでいたけど購入していたその陶器でした。これだ〜〜!!ってことでとっても嬉しかった。工房の案内なんかを教えてもらったのだが、これがまたすんご〜い田舎にあるんだよね・・。 |