★00年9〜11月 調査、買いつけ&お遊び旅行編 …長〜くなりそう

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  Vol.1 ラッキーorアンラッキー?良くわからん旅の始まり

 「メキシコの民芸品を、日本で売るのだ」、そう決めて、メキシコの舞い戻ったのは2000年の9月13日でありました。そんなこと言ったって、なんの知識もツテも経験もあるわけではなかった。とにかく、自分で、良いと思うものを探しまわるつもりでした。商品のほかにも今後の仕入れに関する情報等も探したかった。そして、前回帰ってきてから1年ちょっと。メキシコが懐かしかった。そして、この商売始めたら、当分はのんきに旅行なぞ出来ない!ペルーも行っちゃうつもりでした。そんなこんなで、なんと2ヶ月半の滞在を予定していたのでありました。

 出発の日。よく、飛行機乗る時ギリギリに行ったら、満席でビジネスに変えてもらった、なんて話しを聞きますよね。でもそれまでそんなことは一度もなかったのがが、この時はじめて!!幸運がわが身に。ギリギリに行ったわけでもないのに、ラッキー♪幸先良い!!とこの時は思った…。

 シティに着いて、当時交換留学に来てた友人二人が空港に来てくれた。この内の一人と、15日のメキシコ独立記念日前夜、式典のあるソカロに面したホテルに泊まることにしていた。なので、それまでの2日、その近くの別の(もっと安い)ホテルに予約の電話。独立記念日近くだから混んでいるかと思ったけど大丈夫だった。ホテルでおしゃべりしてて、すっかり深夜になってしまったのだが、この辺りはけっこう治安が悪い。夜の流しのタクシーは(どこでも)危ない。二人はどうやって帰るか悩んでたけど、えいやっ!と流しのタクシーに乗って、帰っていった。さすがたくましいのであった。私は、恐くて、昼間ですらシティでタクシー乗ったのは、数えるほどしかない。

 翌日、別の友人に電話して、夜に会うことに。この人、すっかりメキシコ人になっていて、仕事とはいえ…1時間も遅刻してきた。帰り、車で送ってくれたのだが、この時が大変だった!!翌日の独立記念日式典の為、ソカロ周辺道路がほとんど、閉ざされていたのだ!グルグルまわったが、どこも通れない。警官がいる。
  そこで、「○○ホテルに行きたいんだけど、どこ通れば良いの?」と聞いてみた。しかし彼らはにやにやと「通れないねー」「コーヒー飲みたいなー」と言うのであった。さすがに悪評高いメキシコ警官だ。「数ペソ、払えば良いことだけど、あの言い方はムカツク!」と言って、更に他の道を探した。だんだん、申し訳なくなって「近くまででいいよ、そしたらダッシュして帰るから」と言ったけど、「危ない、危ない」って言う。確かにここで途中で降ろしたせいで何かあったらすごく気分悪いだろうけど。その後もグルグル。やっとこ、通れそうな小道を見つけ。そこも、ほんとは閉めてあったけど、強引に通ったというか。ハー、お疲れさま。

 さて、翌日。いよいよ独立記念日前夜。当日よりも、前夜に大統領の『グリト』(独立の叫び)があるので、こっちの方が盛りあがる。チェックインはお昼なので、そのくらいにホテルに徒歩移動..しようと思っていたが、今回は荷物が多かった。スーツケースはどう見ても邪魔なので、午前中に、明日以降泊まろうと思っていた日本人宿に持っていくことにした。行く時は、タクシー。昨日あれだけ車通るのに苦労したから、タクシー来てくれるのか?と心配だったけど、来る時も、出る時も、なにも問題なかった。昨晩のは、なんだったの..。
  戻ってくる時はメトロに乗った。ソカロ駅には、ぞくぞくと人が集まっていた。ホテルで友人と待ち合わせてチェックイン。部屋はOKだったけど、グリト見物のレストランの席の予約が入ってなくて、またひともんちゃくだった。友人は傍から見てハラハラするくらいに激怒。ホテルの人はおろおろし、席を用意してくれた。案内してくれたお姉さんが『ここで良いかしら?』って言った時には、彼女は今度は見違えるようににっこりして『ありがとう』と言った。これはさすがと思った。ほんとに、たくましい!!日本人じゃなーい!(笑)

 さて、この見物記は『メキシコのお話し〜第19回』にも書いてますので、そちらで…。独立記念日当日は、朝から軍隊etcのパレードがあった。これまた、朝食食べつつ見学。ものすごーく、長い長いパレードだった。
  日本人宿へ。私は、日本人宿ってなんとなーく、苦手なんですが、シティで安くて良い宿、あまり知らなかったし、やっぱりらくちんなので、以前からここに何度か泊まっていた。そして、『今だ』同じ人がいたりする。初めて来た時は、まだ建築中で、2階までしか出来てなかった。今は、3階まで、そして屋上にオーナーの部屋。しかし建築しながら、そこに住み始めちゃうって、けっこうすごいですよねぇ..?

 その後数日は、色々友人に会ったり、ペルー行きのチケットを買いに行ったり、散歩したり、して過ごした。この数日の間に、私は誕生日を迎えたのだが、当日はあまりに悲惨だった。史上最悪バースデー。
  まず、朝からお腹が痛くなった。それは大して重度ではなかったけど。トイレ流そうとしたら、詰まった!のです。メキシコのトイレって詰まりやすくて、普通、紙は流しちゃいけないことになってます。だけど、ここは日本人宿だからか、流してOKになってる。(しかし、それに対応したちゃんとした?トイレなのかは不明)でもやっぱり、詰まり易いんだ!!やばい、やばい。もう一度流してみる。すると!!逆流!!溢れるー。おろおろ、トイレ詰まりなおすヤツ(ゴムの、吸引カップみたいなヤツです。なんて言う名前?)を探すが、ない..。あ、ここは当然共同トイレなんです。だから、そいつを捜しに行ってる間に、誰か入ろうとしたらどうしよう..と思うとなかなか出て行けない。しかしそんなことしてても仕方ないので、決心して出る。管理人さーん!!訳を話すと、「あ、いいですよ、掃除しときます」っていうけど..そんなわけには(汗)、私、やります!とモップも借りる。そりゃもう、冷や汗もので掃除しました。(汚い話ですいませーん)

 朝からぐったり疲れ、寝転んでたら、なんか熱っぽくなり、お腹が痛んできた。またまたトイレ。お腹壊してはいなかったんだけど、なんかものすごい頭痛が襲ってきた。意識が遠のく。ふっと気が付くと、自分が床に倒れていた。しかも目の前にはがたまっていた。何が起きたかわからず、どこから血が出てるのかもわからず、私、ヤバイのかなーっとぼんやり思った。なんとか、起きあがると、鼻横を、切っていた。頭とか打ってた訳じゃなかった。ああ、良かった。不思議なんは、左側に倒れてたのに、右横を切っていたこと。一体どう言う倒れ方を..??今日2度目のトイレ掃除..。血をふいて、ふらふらベッドに戻る。薬飲んで、一日寝ていた。幸先良かったはずの今回の旅..。

 一日で回復しましたけど、鼻の傷はすごかった。翌日遊びに行った友達の家で、「Crema De Concha(メキシコ名産!?貝殻クリーム)は、そういう傷跡に良いよ」って教えてもらった。とほほ。
 さて、そして、ペルーへ行くのであ〜る。出発前日にスーツケースを友人に預ける。この友人のそのまた友人の家に部屋が空いてるというので、帰ってきたらそこに泊めてもらう約束を。1ヶ月くらいで戻るから、と言って別れたのでありました。

  Vol.2 まずはリマ、印象はイマイチ・・・

 思えば、初めての国、勝手がわからない場所に旅行するのは久しぶりだ。リマの空港に着いて、ちょっぴりドキドキする。ここは素直にタクシーに乗り、目星をつけていたホテルに向かう。これまであまり意識したことなかったけど、リマって海の町なんですねー。タクシーは海岸沿いを走り、ものすごい急坂を登って街に入って行った。途中、運転手が「良いホテル知ってるから、つれてってあげる」と言い出す。値段を聞いたら高いので、もっと安いところがいいって言ってるのに「見るだけで良いから。気に入らなかったらやめればいい」というので、とりあえず降りる。確かにきれいだったし、ホテルのおじさんも感じ良かったけど「高いからいい」って言ったら素直に「安く出来ないから他に行きなさい」というのであった。だから、高いところはいいって言ってんじゃん..部屋を見たら気が変わるとでも思ったのか?そして更に、私が行きたいホテルはつぶれた、とか言い出す運ちゃん。「いいから、とにかく行って!」と言うと、ちゃんとありました。

 翌日。リマでは必見!と聞いていた天野博物館に見学の予約をする。時間は午後3時。それまでは、周辺を散策することに。私が泊まっていた地区はミラ・フローレスという新市街、わりと治安の良い高級な地区、とのこと。だけれどなんとなーく街にあまり活気を感じられない。例えばメキシコだと、道には屋台や物売りがいっぱいいてモノが豊かな雰囲気があるが、そういうものが全くなかった。ショッピングセンターのようなところを見てもガラーンとしている。
  とりあえずは民芸品市場に向かう。やっぱりね、こう言うところは外せません!ペルーの民芸品。やはり織物が多かった。あとはアルパカセーター、リャマの毛の敷物、ナスカ地上絵模様の陶器、シルバー、んー、あんまり私は好みでないな。…と思いつつも隅々まで歩きまわった。公園でアイスを食べ、ネットカフェに行き、そろそろ天野博物館へ。

 ちょっと遠いけど、歩いても行けそうな距離だった。余裕を見て、向かったつもりだったが…迷った!!近くまでは来てるはずだが..あとちょっとがわからずウロウロ。時間が迫り、あせりまくった。小走りでウロウロ。すると、通りかかったおじさんが「天野博物館行くのか?すぐそこだよ」と教えてくれる。助かりました..ほんとにすぐそばだった。が!15分遅刻
  ここは、博物館の人がガイドしてくれる(しかも日本語♪)ので..遅刻したせいで最初の展示室を見逃した。大馬鹿者〜!この博物館の織物収蔵品はすばらしかった。レース織りなど、ものすごい細かい織りがきれいに保存されていた。それらは引き出しの中に保存されていて、その中のいくつかを、ガイドの方が引き出して見せてくれるのだが、「もっともっと見せて〜」と心の中で叫んでいたのでした。最後に絵葉書などのショップがあって、買おうと思ったのだが表示がドル表示だったので、ソル(ペルー通貨)でも払えるか聞こうと思ったのに、口から出てきたのは「ペソで払えますか?」。お姉さんは笑いもせず冷静に、「ペソは無理ですがソルは大丈夫です」言うのだった。そう、ペルーはけっこう色んな場所でドルもそのまま使えたりするんですね。
  帰り道、スーパーに寄った。私は、旅行に行ったら必ずスーパー、行くのです。ペルーっぽい変り種食品を探しましたが、案外輸入品が多かった。お菓子のコーナーには「インカ」とか名のついたおつまみパックのようなものあったが。。

 その後そのまま、ホテル前を過ぎて海の方まで行った。ホテルのある大通り、ずっと海までつながった道なのです。端

リマの海岸

まで行くと、公園みたいな広場になっていた。更にその先まで行ってビックリ!その公園の下にはショッピングモールが広がり、先には崖、そして海、という三重構造(!?)になっていたのだ。しかもショッピングモールは近代的、小奇麗で驚きました。ペルーも、こう言うところもあったのね。人も賑わってた。そして空港からタクシーに乗った時を思い出した。

そう言えば、街に入る前、急坂を登ってきたのだった。言葉ではうまく表現できないが、端っこまで街があって、どかんと崖、その下に浜辺と海、と言う光景は私にはすごくインパクトがあった。左右を見渡すと、街が浮いてるみたいなんだもん。

 2日目。昨日1日でリマに感じたのは、「物価高い・活気なし・ただの都会・治安悪そう」→早く移動しよう!だった。そこで今日の計画。午前中ナスカ行きバスチケット買いついでに旧市街をちょっと見学。午後は博物館。

 バスターミナル近くまで、はじめてコレクティーボ(ミニバス)に乗ってみる。メキシコじゃ見かけない、女性車掌さんが威勢良い。ターミナルの位置は地図にはっきりとは載ってなかったのでとりあえず見つけたところに入った。なんだか薄暗く汚いオフィスだが。まあ、チケット買えたからそれで良いか。そこから旧市街に向かって歩く。建物などはコロニアルで立派だが、やはり人は少なく活気はなかった。途中の広場でトレド候補(当時は確かまだペルー選挙前だったか?フジモリVSトレドで争っていた頃)支持者っぽい集団がいて、思わず遠回りする。…コワイ〜。
  そこを過ぎて、中心の遊歩道あたりから、人が賑わってきた。古臭くて、小さな店が集まったいわゆる”旧市街”の雰囲気に。でも中にはマックとかありましたけどね。レストランを探す。あまりパッとしないが..1軒に入る。昨日は、外国人用的なわりと普通なご飯を食べただけだったので、これがペルー初のペルー料理。スープ+メインだが、スープがシーフードの具沢山豪華スープだった。といっても、あまり奇麗な店でなく、かつ見たことない貝関係がごっそりでちょいビクビクでしたが、美味しかった。それにペルーの米は、わりとしっとりで日本のものに近い気がします。ペルー料理はなかなかイケル

 食後、中央広場まで行く。印象薄。そこで、観光ポリスに博物館までに行き方を聞く。ガイドブックには「ペルーには観光ポリスが沢山いて親切」って書いてあったのに、このお姉さんは困った顔してた。この人、ポリスじゃないのかな??人類学博物館へは、迷わず無事に行けました。案外時間が余ったので国立博物館にも行く。インカ文明はスゴイです。が、見学者が少ない。
  帰りにバスを探してると、日本人男性が声をかけてくれた。旧市街に泊まっていて、ミラ・フローレスの方はまだ行ってないと言うので一緒に行くことに。この時のバスで、『Parque Central』がなぜか通じなくてショックでありました。何度も聞き返されて、仕舞いには「何いってんの、この子?」状態で笑われた。ちょっとムカ。ところでペルーのスペイン語って、なんだか歌ってるみたいに聞こえる。抑揚が激しい?イタリア語みたいに聞こえるんですよねぇ。これって私だけ?

 で、「Parque Central」は通じなかったけど、無事「Parque Central(中央公園)」に着いて、再び民芸品市場→スーパー→海の散歩コース。彼は(確か)翌日には帰ると言っていて、クスコに行った話しをしてくれた。なんでも、マチュピチュには虫がいっぱいだとか!!蚊みたいな、でももっと強力なヤツがいるそうで、刺された痕がいっぱいでした。「絶対虫除け買って行った方が良い」って、これは聞いておいてほんとに助かった〜。

  Vol.3 ついに私も餌食。有名な『首しめ』じゃなかったけど。

 今日はナスカにバスで向かう日。昨日のオフィスまで、この時はタクシーに乗った。荷物もあるし、危ないと思ったから。なのに、着いてからよーくチケットを見たら「このバスの出発は〜通りの○○のオフィス」と書いてあるではないか!大失敗..結局そこまで歩いて行く。今思えば、これもけっこう危険行為だったような。途中、子供がどこに行くのかと寄ってきて、オフィスまで連れて行ってくれた。小遣いせびるわけでなく、ホントの親切な子だった。(こうやって親切を疑ってしまう習性が..)

 しかし、オフィスに着いて聞いてみるとバスは3時間も出発が遅れるというではないか!いきなり、うんざりしつつ本を読んだり何とか時間をつぶす。そしてまたその時刻に近くなってもう一度聞くと…今度は更にあと4時間!最悪。しばらくまたターミナル内で時間をつぶしていたが、相当うんざりだったので、ちょっと外に出てご飯でもゆっくり食べてこようと思った。だけど、この辺りは治安も良くない場所だし、近くに何かあるかもわからなかったので、外に出て、道路の向かいに渡り、周囲を見渡した。これが、あと数分遅ければ良かったのに。と、いまさら言っても仕方ないが。

 ターミナルの片側、なんとなくメルカドっぽい建物に見えた。そこに行ってみようと歩き出す。しかしホンの1、2分歩いたところで、向こうから若者何十人の集団がやって来た。最初、何かな?くらいに思ったのだが、彼らが近づいてきて「ヤバイ」と思った。ターミナルに戻ろうと、きびすを返す。ここで走れば良かったのかも?でもこの時、「びびってると思われるとマズイ、平静を装おう」なんて思って、普通に、歩いた。
  最初、後ろから一人が走ってきて私が手にぶら下げてたビニール袋をむしりとって行った。そこには水とかお菓子だけしか入ってなかったからどうでも良かったが..。頭の中は「やばい、やばい、早くつかないと」だったが、そのまま歩く。もうあと10mくらい。
  で、集団が襲ってきた。必死でカバン、リュックを押さえ、助けを呼んだが、…殺されないで良かった。それくらい恐かった。首から下げてた貴重品入れが盗られた。やっぱり、首からああいうの下げてるって知ってるのかなぁ。カバンの中とか入れておけば大丈夫だったのに。いや、でもあれ盗ったから満足して去って行ったのかも?あとから色んな「IF」の考えが生まれたけど、もうどうにもこうにも。

 ボーゼンと道路にへたっていると、おじさんが寄ってきて助け起こしてくれた。ターミナル内に逃げ込んで、「どうしよう」って頭の中でグルグル。おじさんが「なんで外に出たんだ」って聞く。「ご飯食べたかっただけ」。「そこにカフェがあるのに」…そんなこと言わないでよ〜。ターミナルの前は交差点になっていて、逆の道路には警官がいたはず。ターミナル前にも警備の人がいる。なんで、助けてくれないの。怒りが込み上げる。ペルー人最低!!…でも、助けてくれたのもペルー人。おばさんが携帯電話を差し出して、大使館に電話するなら使いなさい、って言ってくれた。なぜその時電話しなかったのかは覚えてないが..。そしてみな警察に行けという。でもポケットの小銭入れも盗られたので一文無し。(やっぱり、お金は数ヶ所に分けましょう!)それに、道路に出るのさえ恐かった。そしたら何人かがついて来てくれて、バスを止めて、この子はお金盗られたから警察までつれてってあげて、と言ってくれた。

 警察に行くと、話しを聞いてパトカーに乗せられ、現場付近をまわった。たむろってる若者をさして、「どいつだ?わかるか?あいつか?」と聞いてくる。そんなもん、集団だったしわかるわけないだろ―――――!!私はそれより、そこらに貴重品入れが落ちてないか見ていた。彼らはどう見ても突発的に襲ってきたし、ってことはトラベラーズチェックやパスポートは不要なはず。そう言うものを換金するルートとかわかってるプロとは思えなかった。だからきっと中を見たら捨てるはず。そんな気がしていた。結局わからず、また署に戻り、事情徴集。タイプ打ちは明日するから明日来い、と言う。そして、日本大使館に連れて行くから、それでいいだろう?と言われた。いいだろう、って…途端に心細くなる。警察でも大使館でも、ここで「だれか」の助けがなかったら私って野垂れ死に?

 この日は日曜日だったから、大使館に人がいたのは本当にラッキーだった。しかも、着いた時、彼らは帰ろうとしてたところだった。日曜出勤にプラス余計な仕事を…すいません…。しかしさすがペルー!?館員の方も慣れていらした..。パスポート、T/C、カード、諸手続きを助けてもらい、盗難届けも今作ってもらおうと、もう一度警察に連れて行ってくれた。大使館員が頼めば、その日に作ってくれるのだわ。そして、パスポート再発行業務は月曜じゃないとできないので、明日また来て下さいと言われる。そして、お金100ドル(多分ポケットマネー)貸していただいた。そして、今日まで泊まっていたホテルに連れて行ってもらった。ホテルのフロントのおばさんが、おじさんに替わっていたので、舞い戻ってきたことに気づかれなかった。そして同じ部屋だったのだが、TVがないからと昨日までより5ソル安かった。感じの良かったおばさんも…けっこうセコイ人だった(笑)。

 ホテルの部屋に入って、やっとホッとすると、今日の出来事がまざまざとよみがえった。まさか自分の身にこんなことが降りかかるとは。だけど、怪我とかなかったから良かった。荷物も盗られなくて良かった。大使館の方には悪いけど、パスポート盗られるよりコンタクト盗られる方が、遥かに「困る度」高いし。と、いい方向に考える。だけどこれまで海外に出て、スリとか騙された、とかそう言うイヤな経験はしたことなくて、いきなりこんなスゴイ体験しちゃってすごいショックだったんだけど、やはり疲れていたのか、この夜はぐっすり眠れてしまった。しかも楽しい夢まで見た。私って相当神経太いかも..。

 翌日は、諸手続の続き。まず大使館。昨日は普通に入ったオフィス内、今日は厳重警備で、昨日手伝ってくれた館員の方もカギのかかった部屋の向こうで、様子がすっかり違った。手続きけっこう簡単に終了、後は写真をもって来るよう言われる。
  銀行。この時私はアメックスとシティバンクの二つのT/Cを持っていて、対応の違いにビックリ。アメックスは電話1本でスムーズに再発行OKとなった。しかしシティバンクは電話がつながらず、直接オフィスへ向かった。えらそーな人が「May I Help You?」と来てくれたはいいが、なんだかんだとなかなかOKが出ない。本人確認の為?職場のボスの電話番号を教えろなどと言ってくる。後でまたホテルに電話するという。あーもう!!やっぱりT/Cはアメックスだね!!
  カード会社に電話。街の安い国際電話を使ったのがまずかったみたい。パソコン電話?のようなもので、音声が悪い!こっちには聞こえるのだが、向こうが聞こえないみたい。しかも相手はバイトの若い男の子みたいで、なんとも対応がトロイ。一人であせり、叫ぶように電話。
  航空券も再発行OKと確認して、だんだんと何とかなりそうになってきて、冷静になってくる。しかし、この後どうするか?旅を続けるのか?そういえばナスカ行きバスチケットも盗られたが、これも再発行OKって言われていた。が。ナスカ?行くの?もう、メキシコに帰りたかった

 この日の移動、タクシー乗っていたが、乗る度に運ちゃんに「強盗にあった!」と愚痴った。そうすると皆ほんとに同情の意見を言ってくれ、「この国は悪い奴多くてダメだ、怠け者ばっかりだ」とか言われちゃうと、ちょっと申し訳ない気持ちにもなる。あんまり、「そうそう!最悪だよ」と相槌打つわけにもいかないし..。

 で。一旦ホテルに戻って、そこからまた予想通りの!?どんでん返しがあった。ホテルのおじさんが、「あなたのパスポートを拾った、って人から電話があった」と言うのだ!また電話をくれると言っていたと。驚いているとそこにシティバンクからの電話。手続きの続きで話してると、そこへちょうどまた、その拾ったという人から電話が。おじさんが話しかけきて、私はシティバンクの人に説明する。T/Cもあるみたい。私は単純に喜んでいたが、それを聞いて、シティバンクの人は「気をつけなさい!絶対一人で会っちゃダメよ!!」という。あ、確かに..。でもとりあえずは怪しい様子はなかったようで、ホテルまで持って来てくれると。おじさんは、「お金を沢山払っちゃダメだよ、ちょっとチップ渡すくらいにしなさい」と言う。
  ほどなく、拾い主はやってきて、ホテルの外にいたけど、おじさんのいるロビーまで来てくれと言うとちゃんと、来てくれた。パスポート、カード、T/C全部、確かに私のものだった。航空券だけはなかったけど。拾い主からお金を請求してくることはなく、私はホテルのおじさんに言われた程度を渡して、一件落着。拾い主はタクシー運転手の普通なおじさんで、走っているとき見つけたと言ってた。怪しく…ないよね?もしかして、もしかしたら例えば盗んだやつらの親とか知り合いで、これはお金にならないし返せばチップもらえる、ってんで返してくれたの「かも」知れないけど、真相はわからない。

 とにかく!!戻ってきたからもう大丈夫だー。そうそう、なぜ拾い主がホテルをわかったかって言うと、パスポートに挟んであった入国カードに、滞在ホテルとしてこのホテルを書いていたから。ああ言うところなんて、けっこう適当に書くけど、ちゃんとここに泊まってて良かった!!あんな目にあった時は不運が重なったと思ったけど、その後は沢山の幸運があった。

 「もう帰ろう」って思ってたけど、やっぱりペルーに来た最大の目的、マチュピチュだけは見て帰ろうと思った。このままじゃほんとにペルー最低、のイメージで終わる。クスコだけ、飛行機で行こう。翌日はまた大使館に借りたお金を返しに行き、航空券を再発行してもらい、クスコ行きのチケットを買った。大使館の人には、クスコもデモあるから気をつけなさいと言われましたが。
  そう、私を襲った集団、あれはなんだったのかも、ナゾです。この頃、フジモリさんのおかげで反日感情があり、反対デモ集団に襲われるとか聞いたけど、大使館や警察の人はそう言ったけど、バスターミナルにいた人達や、タクシーの運転手さんらは「サッカーのファン」って言ってた。フーリンガン的に?暴れる若者らが多いと言ってた。

 リマ最後の日(結局1週間もいたよ!!)、手続きも何もかも終わって気持ちも落ち着いたけど、やっぱり恐くてミラ・フローレス地区からは出られなかった。暇だったので、あの海岸のモールで映画を見た。ブラジル映画。とても良かった。そしてカフェでコーヒー飲んで、セビッチェを食べた。数日の出来事を思い返していた。クスコに無事行けるのかと考えていた。

  Vol.4 一度は見ておこ、マチュピチュ

 クスコは標高3360m!ほとんど富士山山頂にいきなりぽんと飛行機で舞い降りる。空は真っ青で太陽が明るいのに、空気が冷たい。ゆっくりと歩く。空港を出ると、タクシーの客引きが沢山。市内まではけっこう近いはずなのに、なんだか高い。でもこの値段は決まってるものみたいなので仕方ないのだが..バスにでも乗ろうかと思っていたら、「あのタクシーは○ソル(忘れたけど、かなり安い)でOKだ」と言われ、思わずついていく。日本語を少ししゃべるオジさんだった。そして、オジさんの宿に行くことが条件であったが、聞いたら宿も安いし、あてがなかったので、ここに行くことに。
  宿につくと、マテ茶をだしてくれ、早速ツアーの売り込みに入る。私もやはりリマの事件でまだまだビビッていたので、マチュピチュはツアーに乗ろうと思っていた。それからオジさんが売り込んでくるのが、市内&サクサイワマン遺跡ツアーと、聖なる谷の市とオリャンタイタンボ遺跡ツアー。迷いに迷ったが、やはり安全が優先かなぁと両方頼んでしまう。まずは明日からマチュピチュ、一泊二日。と、予定が決まったところで市内を散策に。小さな街なので、旅行者があちこちに見られ、いかにも観光地。リマで感じた殺伐とした空気はなく、落ち着きがあった。食料、水、虫除けを買って、明日に備える。

 マチュピチュへ行く列車は朝早い。宿のオジさんが駅まで送ってくれる。マチュピチュと言えば「空中都市」、すごく高いところにあるイメージなのだが、3000m級のクスコに比べると「低地」(と言っても2280m)にある。なので、クスコからの電車は山を下って行くことになり、スイッチバックで進むというちょっと珍しい電車なのだ。これって有名なこと(少なくとも、マチュピチュに行こう、っていう人にとっては..)だと思っていたのだが、前に行っては後ろに戻る動きを理解できず、「この電車、進んでないわよ!Crazy!!」と突然叫び出す白人女性。おいおい。

 ふもとの駅に到着し、ここからはバスで遺跡まで登る。下からみたら、ただの山、遺跡の存在は確認出来ない。入り口に着いて、ここからガイドが着くはずだったのだが、見当たらない。中にいるのかなと入って行ったが見つからず、まあ、ガイドいなくてもいいかと思ったがこれはちょっと失敗だった。遺跡にはなんの説明板等がなかったので地図見てもイマイチどれがどれか分からなかったから..。高い入場料とってるのに不親切な遺跡!!
  で、入り口からの道をずんずん進んでいくと、あの、マチュピチュが。日本語力貧困なので、上手いこと表現できませんが..一生に一度は見ておこうよ、マチュピチュ!!です。すごいです。やっぱり頑張って来て良かった。私、遺跡と

初公開(照)異様に嬉しそうな私とマチュピチュ

か古いところを訪れると、とりあえず「触り」まくります(笑)。「この石が何100年もここにあるんだな」「ここに昔住んでた人達もここを触ったんだ」って思うとすっごい嬉しいんですよね〜〜。

 今日はここのふもとの村アグアス・カリエンテスに泊まるので、夕方最後のバス便までゆっくり出来る。あっちこっちを歩いて、最後遺跡の外れの小高い所でのんびり。ああ贅沢な時間だよ。で、滅多に写真撮らない私も、ここで一枚撮ってもらう。で、この写真頼んだ外人さん、なんだか忘れちゃったけど撮る時に笑わせて、私はすっごい笑顔で写ってる。でもそれくらい、「来れて嬉しかった!!」感じでGOODです(笑)

 翌日。マチュピチュの入場料と、バス代が高いもんで、もう一日は周辺の温泉にでも行こうかとか考えていたのだが、やっぱりこんな所でケチっては後悔する!ともう一度マチュピチュへ。昨日は時間がなくて登れなかった、「ワイナピチュ」(=「若い峰」という意味。マチュピチュは「老いた峰」)に登ることにした。ワイナピチュは、マチュピチュの先にあるもうひとつの峰で、この上からのマチュピチュの眺めがまた最高!だと。けっこうきつい昇りらしいのだが、ガイドブックにあった投稿は、「日本人おばさんも登ってた!」だったので大丈夫と思い..。入口からしばらくは、緩やかな坂。で、角を曲がるとビックリの、ものすごーい急な峰とそこに貼り付くような細い道。..え、あそこ登るの!?と思うと行く足が鈍ったのだが、横をどんどん人が通りすぎて行き..。覚悟を決めて休み休み行ったが、それでもかなりきつかった〜。小1時間登り、足はガクガクに..。最後、やっと頂上が見えて、しかしここからがまた難関!坂を上がるんじゃなくて、岩をよじ登らないと上まで行けないじゃーん!!上の人に引っ張り上げてもらいなんとかゴール!

 そして、昨日は曇っていた天気が今日は快晴で、眼下にはマチュピチュの遺跡が小さく見える。こんなに登ってきたのかと自分で感心。次々と客?が入れ替わる中、ダラダラ残っているのはなぜか日本人ばかり。しばし歓談。余裕がない旅行をするといわれる日本人、ここでは「欧米人の方がさっさと行っちゃうよね、もったいない」とか話す。そして下山。帰りは30分くらいだったかな。入口のところで、さっき上にいた男の子に出会う。下りてきて、草むらで寝てたら途端に激しく虫にさされたと。ボツボツ、すごかった。虫除け様様でした!

 もう少し遺跡をウロウロして、名残惜しみつつバスに乗って駅へ。ぼんやり電車を待ってると、今度は上で会った女の子がやって来た。彼女は下りは歩いて下りようかなーとか言ってたんだけど、ほんとに歩いてきたらしい。すごいわ。たまに登りも徒歩でチャレンジしてるドイツ人(←予想)もいますが。それより、かの有名な「グッバイボーイ」の方がもっとすごいですが。(これは実際に見てかなり感心、チップあげずにはいられなかった。バスよりも先に駆け下りて行き、曲がり角毎に『グッバ〜イ』と叫ぶ子供の芸?です。)帰りもゴトゴト、スイッチバックでクスコへ。

  Vol.5 ペルー、残りの日々

 翌日は、これまたツアーで聖なる谷オリャンタイタンボ遺跡。聖なる谷は6000m級の山が連なる中に、小さな村々があって、ここでの市場がみどころ。村までのバスから眺める光景は高地らしくなんとも澄み渡っている。クスコでもなんとか平気であったが、ここで「一番高いところ」というあたりではさすがに頭痛がした。肝心の市は、こう言ってはなんだか同じような風景をグァテマラ・メキシコで沢山見ているのであまり目新しさがなかった。民族衣装も、マヤ民族のほうが華やか。このツアー、申し込んだ時からイマイチ気乗りがしなかったので、結構後悔。

  ですが、スペイン語ツアーだったので、ペルー人のほかブラジル人やウルグアイ人などまざって、ガイドのお姉さん

”一番高い"辺り、4000mくらい?とにかく空が青い

ノリノリで車内にぎやかでありました。そして、「日本人がいるのは珍しい。日本人は歌が上手い、何か歌ってもらいましょう!」ということに..。「日本人は歌が上手い」ってどう言う勝手な判断なんだか(笑)。ここで断固と断ってはマズイと思い、なんか楽しい日本の歌ってあったっけ?と思い起こしたが、ちゃんと歌詞まで覚えてるのってなかなかないわ..。で、旅行だし、と思いついたのは「線路は続くよ」。しか〜し、歌い終わって、隣りのおじさんに「聞いたことある歌だ。英語でこんなのあるよ。。」と歌ってくれて、思い出した。この歌って、日本のじゃないじゃん!!…バカだ。。。
 で、お昼を食べてからオリャンタイタンボへ。ここの印象は、「でっかい」でした。段々な階段状に石がずーーっと積み上げられてる感じでした。

さてクスコに帰って夜。ココは高地なので、昼間は暑いくらいでも、夜になるとグーっと寒くなります。なので、あまり遅くならないうちにシャワー。この宿はバス・トイレ共同の宿でありました。で、シャワー室は廊下のかどっこ、囲いを作っただけのような、天井無しのほとんど外みたいなところで、寒いのだ!ただでさえ寒いのに、この日、なんといきなり水が止まった!それがしかも、頭洗っててシャンプーだらけのところです。出るに出られないし、すぐに出るようになるかと思いきや待つこと多分15分くらい。カンベンしてよ!!グァテマラでも、お湯出ないとかぬるくなるとかはあっても、水が途中で止まったことはないぞ〜〜!…またペルーマイナス1ポイント、でした。。

 翌日。順番が変だが、最後にクスコ市内観光とすぐ近くのサクサイワマンなどの遺跡などのツアー。インカの遺跡はみな石造りで、メキシコもそうなのだが、こちらはなんだかとっても「巨石文化」という印象。よく「かみそり1枚通さない」と聞くが、その通りにぴっちりと整然と積み上げられていて丈夫そう!ケンコー遺跡タンボマチャイの泉を見て市内に戻り、コリカンチャ(太陽の神殿)とカテドラルを見て解散。
 
ツアーだと効率よくまわれるのは良いけど、どうも一つ一つが印象薄だ..。

 クスコ最終日、やっと完全フリーな一日。まずはちょっと離れた郵便局へ手紙を出しに行く。ウワサでは聞いていたが、ペルーの郵便事情はとても良い。郵便料金とかコンピューター管理されていてめっちゃスムーズ。ここから出した手紙も、一週間とかからず日本に到着したそうだ。スバラシイ。
  そのあとは、昨日のツアーについてた周遊入場券の、残りの分をぶらぶらまわった。小さな博物館と教会。民芸品の市を見る。せっかくだから、織物のランチョンを買った。それからソカロ(とはペルーでは言わないんだっけ)でぼーっと休んでると、やはりいるね、話しかけてくる男の子。疲れてたもんだから、座っていたくて随分と長話をした。「日本は台湾のどこにあるの?」とかワケわからないこと言われたなぁ(笑)。

 夕方になってきて、段々と旅情に浸る。私、どうもあんまりツアー行動って合わないんだよね。こうやって、一人でぶらぶらしてると、旅が楽しくなってくる。やっと恐さも薄れてきたし..ってところでもう明日はメキシコへ帰る。ペルーいろいろあったわ。メキシコに戻るのがやっぱりすごく嬉しかった。
  ペルーで最後のご飯、なに食べようか迷いつつ、普通に食堂に入り、でもガイドブックの写真が気になってた「セコ」を言うものを注文。緑色のソースの煮こみっぽいもので、緑色はコリアンダーだそうで。おいしい!大抵のものの付け合せについてるイモ類も本当にウマイ。さすがアンデス。

 出発の朝、宿のオジサンが空港まで送ってくれる。「どうだった?」とオジサン。「このノートに感想を書いてくれ」と言うが、私は「聖なる谷のツアー、あんなに薦められたけどあんまり面白くなかった」と言って断わってしまった。けっこうやなヤツ(笑)。でもホント、このことはオジサンに一言言っておきたかったのだ!オジサンは「もし気に入らなかったら、返金するから」とまで言ったんだもん。もちろん、返金なんかしてくれるわけはないと思っていたが、文句だけは言っておかないとね。悪い人じゃあなかったけど、商売根性だし過ぎ、日本人をなめるなよ〜!
  で、この日はクスコからリマに戻り、そのままメキシコ行きへ乗り継ぎ。昨日、フライトリコンファームしたら、クスコからの飛行機は遅れることが多いから気を付けて!と散々脅されたので、最後まで、無事帰れるのかなーと心配だったが、無事、メキシコに着きました。ホッ

  Vol.6 憧れのタラベラ焼きの街

 メキシコに戻り、約束していた友人宅に居候開始。しばらくは骨休みということでぼーっと過ごしてしまった。
 そしてまず向かったのがプエブラ。プエブラは、働いていた頃の休みに、チョルーラ遺跡と合わせて旅行したことがあったのだが、その時にタラベラ焼きに魅せられて、民芸品買いをはじめたきっかけになった街、かな。今回は日帰り。

 街を思い出しつつ歩く。しかし当てがないもんだからなかなか見つからない。最初はパリアン市場というメルカドに行き、その周辺を見て、碁盤目状の道を順番に制覇してゆく。一軒の工房を見つけて、入る。
  当然、はじめてのことでドキドキしつつ、下手なスペイン語を駆使して、卸販売の条件などを聞いてみた。だが結構な金額買わないと卸値にはならないわ、日本までに発送はやった事ないから無理とか、お皿やコーヒーカップなんかは6人用セットじゃないと販売できないとか色々条件がキビシ〜。とりあえず、参考に写真を撮って出た。

テーブルセット、ブルーシリーズ♪

 さらに北のほうへ進むと沢山の工房が出現。次に入ったところはこれまたステキな商品いっぱいの店であったが、聞いたら条件はもっと厳しかった。更に、「デザインを盗まれるといけないから、写真もダメ」だった。

 次、前回自分の買い物した店。この時、けっこう感じ良くて、値段もそんなには高くなかったし、こっちからまけて♪って言わなくても向こうから、じゃあいくらまけてあげる、と言ってくれた記憶だったのよね。だけど。。。自分の買い物と商品にするのだと感覚が違うのかなぁ、スゴイ高いよ、この店!(笑)あといくつか他も見て、今度は街の南側へ。
  こっちは全然タラベラ工房はなかったが、家具屋さんや小さな雑貨店やギャラリーっぽい店も多くて、それらを見て回る。商品に出来そうなものはなくて、タラベラをどうしようか考えつつぶらぶら。とりあえず、今回は買わないことにした。

 プエブラには、他を回って最後の頃に、もう一度訪れた。高いけどやっぱりハズしたくなかった。メキシコの民芸品、日本に入っているのって安っぽいものばかりだ。それが悪いってことないけど、そういうのだけだとメキシコのモノって皆そんなのだって思われてしまう。せっかくこれだけのイイモノがあるって言うのに、それじゃあもったいないもん。結局は、一番条件の良かった最初のお店に向かった。憧れだった白地にブルーのタラベラセットを手に入れた。

  Vol.7 セルバンテス祭へ

 10月中旬、当時メキシコ留学していた友人との約束で、セルバンテス祭真っ只中のグァナファトへ。セルバンテス祭はグァナファト名物の国際芸術祭で、約3週間に渡って行われます。留学してた時は期間がかぶってなかったので初めてのセルバンテス祭。ものすごい人出で、住んでいる人には迷惑な部分もあるらしいですけどね。特に週末は若者が集まってただのフィエスタ会場と成り果てるようで。

 週末は宿がない(し高い)ってことで平日に出発。混んでいるかと予想されたバスは全然ガラガラで拍子抜けだ。宿も見つかったけど、多分普段の倍くらいのお値段。
  街中心に行くとやっぱり人多かった。ヒッピー風若者多し。この期間、街の空き地?に民芸品などを置いたティアンギス(露店)があちこちに出ていてそれらを見てまわった。とは言ってもお祭り価格で、かなり高いね。

 通っていたスペイン語学校に行くと、ビックリなニュースが。以前ここに来た時に会った日本人の女の子、今も住んでいるらしいんだけど、昨日、なんと!倒れて頭蓋骨割ったというのだ!!おそろしぃ〜。。。夕方、お見舞いに行ったが私のことも覚えていてくれて、案外と元気そうだったがなんせ頭蓋骨真っ二つにヒビ入ったってことで..。付き添いでがっこの先生、みつこさんや他の友達が交代で病院に泊まってるそうだが、そのお鉢が私に回ってきた。同行の友人は週末前には帰ることになっていて、私はもう少し残るつもりだったので、みつこさんに泊めて〜とお願いしたところ…病院の付き添いして欲しい、と言われ、こっちはタダ宿、向こうは看護人、と利益一致!?で病院に泊まることに。個室でシャワートイレ完備(笑)。

 さてさて、セルバンテス祭の方は、まずは映画を見に行った。タダだったし。だけど難解過ぎてさっぱり分からなかった。あとは民族舞踊団。こちら、満席では入れず、外から眺めた。有名な国立舞踊団だが、伝統的な踊り一辺倒ではなく、前衛的なアレンジがされていてこれは好き嫌いあるかな。ということで、見たのは結局これだけだぁ〜。

 友人が帰って後、セルバンテス祭は無視して(笑)ドローレス・イダルゴへ。バスでターミナルに着く時、その道筋に陶器が並んでいるのが見えるのでそちらを目差す。だがこの辺は大物(ツボやら植木鉢やら..)ばかりなのでNG。その先どんどん歩くと一軒、倉庫みたいな大きな工房発見。しかもここ、スゴイ安い!!のだが、出来が悪い。釉薬がはげてるものが多くて、きれいなの探すとほとんど残らないジャン!グァナファトのタラベラ焼きは、プエブラほど高級ではなくて

タラベラとはいえないようなもろい焼きでしたが、デザインがカワイイ。
クロスの趣味が悪い(笑)

絵付けも細かくないけど素朴な感じが好きです。(安いしね)
  この工房の先は寂れてる感じなので引き返す。引き返す途中には、タラベラではない、陶器工房多数。安くてこれはこれでかわいいのだけど、ちょっとぶつけるとすぐ欠けちゃうような陶器なのでちょっとね。今度はメルカド付近を歩く。一軒の店は店のお兄ちゃんがおしゃべりで、日本はどうだとかそんな話しで随分と長時間つかまった。結局そこは工房ではなく、仕入れて売っているようなのでさようなら。ごめんなさい。

 なかなか見つからないなー、と今度は本命の、日本で見つけていた一軒の住所を持って探す。と、そこへ向かう道すがら、その通りには工房がいっぱいあるじゃあないかぁ〜。で、目的の店の前に見つけた店がかなりの充実度だったのでここで品定め。だけどやっぱり卸値はそれなり買わないとダメで、それ以外はびた1ペソ、まけてくれな〜い。。
  で、最初の目的の店は、そこの隣りであった。なんだ。しかもこっちにはまたカワイイのがいっぱいあるじゃあないか!!でも今回はやめで、次回に、ってことで話しだけして帰った。

 それから、Servinの陶器との出会いもこの時だった。例のスペイン語学校でメキシコ人先生と話していると、「そこの広場でグァナファトの民芸品を展示していて、とても珍しい陶器が売ってる」と言うので見に行ったのだ。それがServin。以前にちょっと離れたところのホテルのお土産屋さんで一度だけ見たことがあって、スゴイかわいくて、でも高くて、一緒に行った友人は悩んでいたけど購入していたその陶器でした。これだ〜〜!!ってことでとっても嬉しかった。工房の案内なんかを教えてもらったのだが、これがまたすんご〜い田舎にあるんだよね・・。
  こんな感じで、収穫も多く、友達に会ったりも出来たし、セルバンテス祭の雰囲気も味わったし、充実でありました。怪我した友人の精密検査も終わり、荷物を置いてお次、グァダラハラへと向かいました。


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